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千葉地方裁判所 昭和32年(ワ)51号 判決 1959年8月14日

事実

原告布施は昭和二十二年三月訴外高橋から本件土地を買い受け、高橋名義のままこれを所有していたが、昭和二十五年五月十六日被告鈴木健二と本件土地につき代金を三十万円とし、これを登記と同時に支払う旨定めて売買契約をなし、原告は同日右被告に対し売買による所有権移転登記を了したにもかかわらず、同被告はその後においても右売買代金を支払わないのみか、その名義となつたのを貨として右土地の殆んど全部を擅に被告篠崎外数名に売却処分して了つた。すなわち、被告鈴木は、右売買契約の当初から代金支払の意思がないのにかかわらず登記と同時に代金を支払うと詐り、原告をしてその契約をなさしめたものであつて、当時若し原告が同被告に代金支払の意思がないことを知つていたならば、いうまでもなく同契約を結ばなかつたものであるから、原告が右被告との間になした売買契約は要素の錯誤に基くものであつて無効である。そうして本件土地は同契約後被告鈴木より次々と他の被告等に権利の移転、設定が行われ、それによる登記手続がなされたものであるが、原告と被告鈴木との売買契約が無効である以上、同被告若しくはその承継人から同土地を譲り受け又は担保にとつてもその権利を取得する理由がなく、右登記は何れも登記原因を欠く無効のものであるから、被告等に対しその抹消登記手続を求める、と主張した。

被告鈴木は、原告主張の日に本件土地につきその主張の約定で売買契約をなし、所有権移転登記を了したが、同被告が右売買代金の全額は支払つていないことは認めるが、その他をすべて否認し、被告鈴木は当初原告に対し金融を依頼したものであるが、原告はその所有の土地を売つてその金を使えといつて本件土地売買の話が始まり、前記売買契約をなすに至つたものである。同契約には登記と同時に代金三十万円を支払う旨定められているが、右は通常の売買契約の例文によつたものに過ぎず、原告はその代金の支払の遅れることを十分承知していた。又、もとより被告鈴木は右代金支払の意思を有していたものであつて、昭和二十五年九月頃金十万円を内金として原告に支払つているほか、昭和二十六年六月頃残金二十万円に金利を合せた二十四万余円についての借用契約を原告との間になしている。被告鈴木は前記売買契約当時千葉市新宿町に二百五十坪の宅地を持つており、相当の資力を有していたものであるが、被告篠崎から金三十万を借りたために買受土地の大部分を代物弁済として同被告から請求されてその所有権を移転し、且つ整地等に時間と費用を要したために予定が狂い、借用金の支払が遅れたものである。従つて、被告鈴木が原告との売買契約による代金を支払う意思がなかつたということにより右契約が要素の錯誤のため無効であるとの原告の主張は全く理由がなく、その無効を前提とする原告の請求は失当である、と抗争した。

理由

原告が昭和二十二年三月訴外高橋から本件土地を買い受け、右高橋名義のままこれを所有し、昭和二十五年五月十六日被告鈴木と同土地全部につき売買契約をなし、その所有権移転登記手続をしたことは原告と同被告の間に争がない。ところで原告は、被告鈴木はその後売買代金を支払わず、売買契約の当初から代金支払の意思がなかつたものであり、それにもかかわらず登記と同時に代金を支払うと詐り原告をしてその契約をなさしめたものであつて、若し原告が同被告に代金支払の意思のないことを知り得たならば同契約をしなかつたものであるから、右売買契約は要素の錯誤のため無効であると主張するが、右原告の主張するところは意思表示の動機の錯誤にあたる場合である。すなわち、原告の内心的効果意思と表示行為は共に代金の支払を受けて土地を売るということであつて、その間何ら齟齬するところはない。ただ、代金の支払を受けるという原告の売却意思決定の動機が、被告鈴木の代金の支払をする意思がなく、弁済がなされないという事実と一致して居らず、右不一致を原告は知らなかつたということである。動機の錯誤であつてもその動機が表示されているときは、意思表示の内容の錯誤と同様に解すべきであるが、本件においては代金の支払を受けるという動機が表示されているものであり、しかも被告鈴木に代金支払の意思がなく、弁済を受けられないことを知つていたならば、原告は右の意思表示をしなかつたであろうし、又普通一般人もこの場合その意思表示をしないであろうと思われるから、意思表示の要素の錯誤の場合と同様に解すべきであろう。しかしながら、凡そ動機の錯誤の場合、その動機は事実と一致していないものであるが、その事実は客観的に確定したものでなければならない。本件において、原告の動機は被告鈴木から代金の支払を受けるということであるが、その期限については、表示されたところの、登記と同時というのとは異なり、原告の主張は、登記と同時若しくはその後というにあるものと解されるから、それに対立する事実として、売買契約の際に、同被告が登記のときは勿論その後においても代金の支払をする意思がなく、将来弁済がなされないということが確定していなければならないのであつて、ただ、契約若しくは登記のときに代金の支払をする意思がなく、弁済がなされなかつたというだけでは足りないのである。又、売買契約の際に前記事実が確定していたとすれば、その後同被告において一部でも弁済をすることはあり得ないことである。右被告がその後一部の弁済をしたことについては原告と被告等との間に争のあるところであるが、仮りに被告鈴木において右弁済を全くしなかつたとしても、前記売買契約の際に、同被告が登記のときは勿論その後にも代金を支払う意思がなく、将来弁済がなされないことが確定していたとの点について、これを認めるに足る証拠はなく、却つて、証拠を綜合すると、右契約の当時被告鈴木は新聞記者としてある程度の資力と信用を有していたことが肯認されるので、少なくとも右売買契約の際には前記事実は確定していなかつたものと認めるのを相当とする。

してみると、本件売買契約を要素の錯誤に基くものとする原告の主張は結局理由がないものといわなければならないから、被告等に対し右契約の無効であることを前提とする原告の請求は失当であるとしてこれを棄却した。

(注) 本判決において一部認容とあるは、四名の被告については他の関係被告と必要的共同訴訟の立場にあるものとは解せられないとして原告の請求を認めたことによる。

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